ヨガになりたい

4月からヨガ教室に通い始めて今でも少なくとも週に1回は行っている。

ヨガは本当に気持ちいいし、心身ともに整う素晴らしい時間。

クラスごとに先生が違うので、今まで5、6人は出会ったんじゃなかろうか。
それでもみんな共通して言うのは「自分の内面と向き合う」ということ。


「もしこのポーズがきつければ、手を降ろしてもいいし、膝を曲げてもいいですよ。自分が一番気持ちいいところでやってね。」
「それをするのは決して“サボり”じゃない。自分の心ときちんと対話ができたってこと。」


先生たちは、無理強いをしない。
ここは隣の人とポーズの美しさを競う場ではなく、あくまで自分がのびのび動くための場。
その空気感や教えがものすごく好きです。


これって人生にも置き換えられると思っていて、「無理して体を痛めたり劣等感を感じたりする場所ではなく、一番自分らしく伸びられる場所にいなさい。」
「心が悲鳴をあげていたら、しっかりと対話して休むことも大切。」
というふうに解釈できる。

もしかしたら考えすぎかもしれないし、むしろヨガの世界では当たり前の価値観かもしれない。
少なくとも私はこれにすごく救われている。


また、先生は動きのコツを説明したあと「ま、色々言いましたが、全部忘れてください!とにかく呼吸することに集中してね。」と言うことがある。

たしかに、現実世界でも色んな情報やアドバイスを取り入れすぎて、結局なにも分からなくなることがある。
そんなときは一回全て忘れて、ただ吸っては吐き出す自然な循環に任せるのもいいかもしれない。
本当に響いた言葉は、他を忘れても心の中に残っているものだしね。


「呼吸」は「インプットとアウトプット」にも置き換えられる。
先生は、動きながら息を吸って吐くタイミングを教えてくれる。
そうじゃないと、無意識に呼吸が浅くなったり息を止めてしまったりしちゃうんだと思う。


これは、例えば学校ではインプットの「講義」があってアウトプットの「課題」がある。
これらを与えられることによって、呼吸を学ぶ。

そうして学校を出ると、自分で呼吸しなければいけなくなる。
吸ってばかりでも苦しいし、そもそも吸わないと死んでしまう。
そして吐くことも意識して行う。しっかりしっかり吐く。
この循環を止めたら、きっと人間としてある意味での「死」を迎えてしまうのだろう。


私たちビギナーは先生の「吸って〜吐いて〜」に従って呼吸しているけど、それがなくても自然と呼吸できるともう一歩上にいけるんだろうな。



などと考えながらヨガやってます。
ヨガの教えはシンプルで分かりやすく、それゆえ解釈の自由度も高い気がするので、それも含めて楽しい。
純粋に体動かすのも気持ちいいしね。
本当に出会ってよかった。

ヨガになりたい。

Inside Out

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